明石〜仙台 |
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5月30日(金)13:40自宅を出発。 横浜、川崎、千葉で、それぞれしばらく会ってなかった知人を訪ねるため、陸路で東方を目指す。 19:55新東名高速の浜松SAに到着。 走行367.8Km、今夜はここで車中泊。 |
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5月31日(土)横浜、川崎で久しぶりに知人と会い、夜は千葉の息子宅へ無事到着。 |
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6月1日(日) ラムサール条約に登録されている谷津干潟へ探鳥。 約40万uの干潟で、シベリアやオールトラリアなどを行き来する渡り鳥の中継地点というが、この季節には特段の鳥には出会えず。 水質は富栄養化がすすんでいるようで、藻が大量に発生し腐敗して悪臭を放っていた。 見られたのはコサギ、アオサギ、ウ、カルガモ親子くらいのもの。 |
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アオサギ 日本中、どこにでも居ますね。 |
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鵜 |
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カルガモの夫婦 | |
カルガモの雛 |
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6月2日(月) 浮島湿原(茨城県) |
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ヒバリ |
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ホオジロ |
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コジュリン | |
大きな声でさえずるオオヨシキリ |
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オオヨシキリ 茨城県 道の駅「奥久慈だいご」で車中泊 この道の駅は温泉が併設されていて、ゆっくり温泉に浸かって休むことが出来た。 |
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6月3日(月) 8:00、さあ出発、と言う時に事件発生。 フサチャンが車のスライドドアーに指を挟み右手が血まみれに。 ナビで近くの病院を検索、30分ほど走ったところに小さな病院があった。 幸い骨には異常はなかったが、右手中指を6針縫う怪我だった。 |
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海岸や干潟は主に水鳥、この時期には居ない様なので、福島県のアカイ嶽へ向かう。 アカイ嶽の薬師堂 |
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バードウォッチングの本を見て来たのだが、見たのはこのオオルリだけ。 いろいろな鳥の声は聞こえるが、葉が茂っていて見るのは難しい。 道の駅「安達」で車中泊 |
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6月4日(月) 仙台方面へ向けて出発。 土地勘の無いところで、本に書いてある情報だけでの探鳥は難しく、季節的にも野鳥は少ないようなので、仙台からフェリーで北海道へ渡ることに決め、仙台へ向かう。 |
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ホオアカ 仙台へ向かう途中の川べりで |
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仙台空港近くの津波の跡 津波の跡には草が茂り、一見草原のようだが、よく見ると草の間に住宅の基礎のコンクリートがちらほら見える。 |
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津波の跡にぽつんと一軒だけ建つ家屋 |
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近づいて見ると大変頑丈そうな立派なお屋敷です。 付近の住宅が津波ですっかり流された跡に、ぽつんと一軒だけ残ったようです。 前に説明版がありました。 |
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鈴木英二さん宅で、被災当日、地元の病院で診察中に地震に遭い、仙台空港へ避難されたそうです。 現在は名取市で自立再建されているそうですが、この震災を後世に伝えるため、震災遺構として残されているとのことです。 |
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2021.10.16追記 昨日の朝日新聞の記事です。 2021.10.15この家屋の解体工事が始まったということです。 鈴木さんは「自分は生かされたのだから、後ろは向かない。悲しさはもうない。」などと話されたそうです。 |
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津波で破壊された松林 |
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立派に完成した防潮堤。 |
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海岸の松林復元のための松の育苗が行われていました。 |
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津波で枯れた松の枝に止まるホオジロ |
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砂利道を歩くコチドリ |
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フェリーの乗船まで時間があったので、仙台市内へ。 仙台は街路樹が美しく、きれいな町でした。 |
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青葉城跡から見た仙台市街 |
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苫小牧行き太平洋フェリー「きそ」は、新造船のようで、船内は大変きれいだった。 今夜はフェリーでゆっくりと休養! |
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